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 日本の革靴の歴史
■開国が出発点
日本の革靴産業は開国が出発点になりました。江戸幕府は兵士など一部を除き、一般人には洋靴の着用を禁止していました。しかし末期には洋服禁止令がまったく効かなくなっていました。洋風化は主に貿易商人から始まりましたが、輸入品に頼っていました。一般化は徐々に進行し、靴の需要が特に多かったのは横浜でした。当時日本で作られていたのはシナ靴を基本にしたもので、上海や香港からきた職人の手によるものでした。

  日本の製靴業が急速に進歩したのは、F・J・レ・マルシャンの功績によります。彼はフランスで手工技術を習得し、文久年間に来日したオランダの靴職人です。彼の手縫い靴は足にやさしい"革の足袋"として評判になりました。
  レ・マルシャンはその後、日本の製靴業の先駆者の一人である西村勝三の「伊勢勝」造靴場に迎えられました。

[参考文献:靴産業百年史・日本靴連盟編]
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■伊勢勝って何?
西村勝三は、1836(天保7)年12月9日、佐野藩(現在の栃木県佐野市)の付家老の三男として江戸の藩邸で生まれました。西村は、明治維新より7年前に刀を捨て、商人になった、元は武士です。

  彼は、専売品であった朱の密売に手を出し、抜け荷買いの罪で収監され、謹慎処分中に銃器の売買を行ったために、石川島の人足寄せ場に送られたこともありました。彼は"人足寄せ場で社会の底辺で暮らす人たちと寝食をともにすることで、彼らを自分と同じ人間としてみることを教えられ、身分によって人を差別することの不合理さに気付かされた"といいます。

  病気療養中のある日、勝三は彦根藩領佐野の豪商、正田利右衛門に紹介されました。正田は砲術助教をつとめたことのある勝三に鉛の精錬法を教示してほしいと言ってきました。結局、鉛を精錬することはできませんでしたが、この間のさまざまな努力と研究は、後に伊勢勝白煉瓦製造所の経営に結実することになりました。

  桜田門外の変に端を発して彦根藩と水戸藩の折り合いが悪くなり、藩の一大事が噂されたため、正田は鉄砲を購入することにしました。買い付け役にはその道に詳しい勝三がなりました。西村は正田を誘って国際港として新しく開かれた横浜へ出かけました。大きな蒸気船が碇泊し、派手な服装の外国人が行き交い、商館には珍しい品々が並んでいました。

  外国船に目を奪われた勝三を正田はある店は連れてゆきました。その店には「伊勢屋」の看板がかかっていました。主人は岡田平蔵。通称は伊勢平。日本橋に本店を持つ豪商です。岡田は貿易実務にも詳しく、運上所の諸色目利役も勤めていました。伊勢平の話に触発された勝三はその後、岡田の助手として運上所で働くことになりました。

  後に西村は、1866(慶応二)年二月、横浜太田町三丁目に「伊勢勝」の看板を掲げました。伊勢平にあやかっったのです。勝三が商ったのは銃器でした。

[参考文献:ニッポン靴物語・山川暁著]
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■サムライが靴工?
 日本が開国に踏み切ってはみたものの、洋服や靴を日本人の手によって製造することは、外国人の援助なしには到底無理なことでした。近代国家として日本が踏み出すためには欧米からの技術導入を必要としました。そのため政府は、「殖産興業」を旗印に欧米先進国から多数の技術者を招きました。彼らは鉄道・鉱山・電信・工業など多方面で活躍しました。

  靴の製造教師として日本人を指導したのは、最初は中国人でしたが、次いでオランダ・ドイツ・アメリカから製靴や製革の専門技師がやってきました。西村勝三が靴の教師として最初に雇用したのは中国人の藩浩で、かれはフランス製の軍靴を見本に製法を伝授しました。

  次に西村のしたことは生徒探しです。勝三は弟を介して知り合った高橋誠治や渡辺英二郎、田村利三郎に声をかけました。3人のうち特に高橋は、旧糸魚川藩士で、以後幹部社員として西村を補佐しました。熱心な3人はわずか半年ほどで靴作りの技術を身に付けたといわれています。高橋らのほかにも多くの青年が藩浩から靴作りを学び、彼らはさらに数多くの靴工の指導養成に携わりました。

[参考文献:靴産業百年史・日本靴連盟編、ニッポン靴物語・山川暁著]
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■靴の記念日
 3月15日は「靴の記念日」とされています。この日は、靴業界の先駆者の一人である西村勝三が明治3年に築地入船町に「伊勢勝造靴場」を開設した日です。造靴年代の早さでは他にも該当者はいましたが、一生を靴業界発展のために尽くし、人格的にも、業績面でも他に匹敵する人物がいないことから、西村勝三を靴業界の象徴として認め、彼が工場を開設した日を「靴の記念日」としました。記念日を制定したのは東京靴同業組合で、昭和7年2月11日に決定しました。

  東京靴同業組合(明治42年〜 昭和18年解散)は、明治42年6月に大塚岩次郎、高橋誠治、内田直ニ、稲本角蔵、村上勇雄、小松録衛の6名が発起人になり、同年11月9日に正式に認可されました。当時の靴業界は、軍需産業は別として、不況の嵐に押しつぶされそうな状況にあり、靴工を多く抱える工場は目前の利益を追い求めるあまり赤字競争もいとわず、商業道徳も崩れて同業者の共倒れも続く有様でした。

  当時あった重要物産同業組合法は、重要物産の生産者及び販売者に対してその福利を増進するため、「小規模の商工業者にいたるまで強制的に組合に加入させ、粗製乱造や不当廉売などの弊害を阻止することを主眼とする」ものでした。東京靴同業組合はこのような混乱を収拾するための統制ある団体として結成されました。

[参考文献:靴産業百年史・日本靴連盟編]
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■靴業発祥の地
石碑があるのは、東京都中央区入船三丁目。最寄駅は営団地下鉄有楽町線の「新富町駅」。入船橋交差点の傍にあるNTTビルの前。

  この地は、1870(明治3)年3月15日、製靴業の先駆者の一人である西村勝三が革靴の製造工場を開始した記念すべき土地。そして、3月15日は「靴の記念日」です。

  当時の革靴は軍靴中心でしたが、築地の明石町一帯は外国人居留地に指定されたので多くの外国人が居住し、日常履く革靴の需要が高まっていました。また、この地は横浜との水上交通が便利な立地条件にありました。
碑文

  明治3年(1870)3月15日西村勝三が伊勢勝・造靴場を創建したのは旧築地入船町5丁目1番のこの地であった。勝三は佐倉藩の開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫並びに渋澤栄一の支援を得て靴工業を創成しこれを大成した。斯くてこの地は日本に於ける製靴産業の原点であるのでここゝに建碑事蹟を記す


  昭和60年(1985)3月15日

日本靴連盟
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■近代皮革産業の三大源流
明治維新後の日本の皮革産業は、主として次の三つを源流として構成されています。
    一、西村勝三
    ニ、和歌山藩
    三、弾 直樹
  それぞれ異なった性格と基盤を持っていますが、共通点もあります。それは、明治維新を一大転回点とする近代的軍事力の創設と深くかかわっていることです。
  西村勝三と弾直樹の製靴・製革業は、ともに明治政府が目指した「帝国軍隊」の軍需を支えとして成り立ちました。また紀州藩営の皮革業は、明治政府の軍事力に対抗して、「第二の維新」に備えて創設された「プロイセン式軍隊」の軍需を賄うために、藩が自ら創設しました。

[参考文献:皮革産業沿革史・皮革産業沿革史編纂委員会編]
 
     
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